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前橋地方裁判所 昭和16年(ワ)96号 判決 1956年7月17日

原告 福田芳太郎 外三名

被告 松岡清次郎 外三名

主文

群馬県北群馬郡伊香保町大字伊香保字香湯一〇番の宅地に引用する横四寸、縦六分七厘の小間口から引湯する温泉につき、同町伊香保神社附近の小林土産物店店頭の床下にある自然石製の分湯桝において、原告等が、被告等の分湯使用量一・八一八に対し一の割合で分湯使用権を有することを確認する。

原告等のその余の請求は、これを棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を被告等の、その余を原告等の各負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、「主文第一項と同趣旨及び被告等は、主文第一項掲記の原告等の分湯使用権の侵害となるべき一切の行為をしてはならない。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、被告等は、群馬県北群馬郡伊香保町に湧出し、同町伊香保神社附近の通称薬師湯西北側にある横四寸、縦六分七厘の小間口から、同町大字伊香保字香湯一〇番の宅地に引用する温泉使用権につき、各自一部宛の権利を有し、右小間口から引湯した温泉を、同神社附近の小林土産物店店頭の床下にある自然石製の分湯桝(以下単に本件分湯桝と略称する。)を経て、被告等が各その経営する温泉旅館方面(以下単に被告側と略称する。)へ一本の引湯樋をもつて引湯した上、これを各旅館に分湯して使用している者であり、原告等は、被告等が右小間口より引湯する温泉につき、いわゆる屋敷湯と称する分湯使用権を有し、これに基き本件分湯桝より北方方面(以下単に原告側と略称する。)へ一本の引湯樋をもつて分湯し、同字一〇番の七、六、五、二、四の各土地内を経て原告等共有の同番の三の土地に引湯した上、ここに共同の浴槽を設けて数十年来温泉旅館を経営している者である。右のように、一定の小間口から一定の宅地に温泉を引用する権利は、一般にこれを小間口の権利とも称し、大屋と呼ばれる当該宅地の所有者に属するものであるところ、伊香保温泉においては古くから、大屋がその小間口の権利により自己の宅地内に引用する温泉の一部を、自己の宅地内の借地人、借家人等に対し一定の分量をもつて恩恵的に分湯使用を許し、もつて温泉旅館の経営をさせる慣習があり、このような慣習によつて生じた借地人等の分湯使用権を屋敷湯と称している。そして、それは、小間口の権利に附着するものとして、小間口の権利者即ち大屋に変動があつても、その変動にかゝわりなく存続するものであつて、原告等の右分湯使用権も亦この慣習により生じた前記香湯一〇番の宅地に引用する被告等の小間口の権利に附着する屋敷湯として、その小間口の権利者の変動にかゝわりなく存続して来たものであり、原告等は、この権利に基いて本件分湯桝より温泉の分湯を受けているものに外ならない。而してその分湯の方法は、明治初年来、本件分湯桝に、原告側において内経横四寸三分、縦三寸五分の引湯木樋を三度の傾斜で、又被告側においては内経横四寸五厘、縦五寸の引湯木樋を二度五分の傾斜で各取り付け、これによつて双方に引湯しており、大正九年八月中火災のため右樋が一旦焼失したので、右樋のみは改修したけれども、その改修に当つては従前のものと全く同一のものに復元して今日までその設備に何等変更を加えていない。従つて、右設備によつて分湯される温泉量は、本件分湯桝に流入する温泉量の増減によつて影響を受けることはあつても、双方に引湯される温泉量の割合には変動がない筋合のものであるところ、右の設備、方法によつて引湯される原告側の温泉量と、被告側のそれとの割合は、前者の一に対し後者一・八一八であるから、原告等は、最初から右のとおり定められた割合で分湯使用権を有するものといわなければならない。然るに被告松岡は、近年になつて同町大字伊香保五五〇番地で自己が経営する温泉旅館に引湯するため、右の割合を無視して本件分湯桝より直接被告側に多量の温泉を引湯しようとして引湯管の敷設を完了し、直ぐにも引湯を開始しようと企図している。もし、これが実現されると、それは、右分湯桝における原告側の引湯量を激減させ、かつ温泉の温度を低下させる結果となり、原告等の有する右分湯使用権を侵害することになる。又他の被告等も被告松岡の右行為によつて自己の温泉使用権に脅威を感じ、自然原告等の分湯使用権を無視してこれを侵害せんとする傾向にある。そこで原告等は被告等に対し、原告等が本件分湯桝において、被告側の分湯使用量一・八一八に対し一の割合で、分湯使用権を有することの確認を求めると共に、被告等が原告等の右分湯使用権の侵害となるべき一切の行為をしてはならない旨の判決を求めるため本訴に及んだと陳述し、なお、仮に原告等の分湯使用権が本来右のような割合をもつて認められていたものでなく、従つて原告側引湯の温泉量が本来の割合を超えるものとしても、原告等は本訴提起の日である昭和一六年一〇月七日まで、既に二〇年以上原告等主張の割合をもつて本件分湯桝より継続して温泉を引湯使用し、本来の割合を超ゆる部分の権利を自己の為にする意思をもつて、平穏かつ公然に行使して来たものである。そして、行使の始、善意で且つ過失がなかつたのであるから、行使開始後一〇年を経過した時に時効によつて右権利を取得した。仮に行使の始善意無過失でなかつたとしても、二〇年を経過した時に時効によつて右権利を取得したので、結局原告等は、本件分湯桝において原告等主張の割合による分湯使用権を有するに至つたものと言うべきである。又被告松岡の主張事実に対し、本件分湯桝の上部周壁にコンクリート様の層が築かれていることはこれを認めるが、右はもとより原告等の所為によるものではなく、その築かれた時期も明らかでない。しかも、この築造によつて原告側の引湯量のみが増加することはあり得ないから、右は本件分湯量の割合に何等影響を与えるものではない。その余の事実はすべて否認する、と述べた。<立証省略>

被告松岡訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告等主張の事実中、被告等が原告等主張の小間口権利者としてその主張の小間口から引湯する温泉使用権につき各一部宛の権利を有し、その引湯した温泉を本件分湯桝において引湯樋により被告側に引湯していること、伊香保温泉に屋敷湯と称する慣習上の分湯使用権が認められていること、原告福田与重を除くその他の原告等三名が右小間口に附着する屋敷湯の共同権利者としてこれが分湯使用権を有し、これに基き本件分湯桝から原告側に温泉を引湯し、原告等主張の土地に共同の浴槽を設けて温泉旅館を経営していること、及び被告松岡が原告等主張の場所で温泉を経営していることはいずれもこれを認めるが、その余の事実はすべて争う。元来、屋敷湯は、恩恵的に無償で分湯使用が認められたのが始まりで、それが慣習によつて権利化されたものである関係で、その分湯使用量についても伊香保における古くからの慣習によつて、一屋敷湯につき湯滝一本、即ち横四寸、縦一分五厘の口から流出する湯量と限られているのであつて、このことは原告等の本件屋敷湯についても亦異るところがない。そして本件香湯一〇番の小間口の温泉実質量は横四寸、縦六分七厘であるから、このことから計算すると、前記小間口から本件分湯桝に流入する温泉中、原告側に引湯することのできる量は全体の六七分の一五(一)、被告側に引湯すべき量は全体の六七分の五七(約三・四六六)の割合となる筋合であつて、その限度においてのみ原告等に分湯使用権が認められているに過ぎない。又原告等は、明治初年来今日に至るまで本件分湯桝において、現に行われているとおりの方法で分湯を受けて来たのであつて、その間分湯設備には何等変更を加えたことがないと主張するけれども、実際には、原告等は、本件小間口の権利者が唐沢安司以来幾回か替り、その間現実に温泉を使用した者が賃借人であつて小間口権利者自身でなかつたり、又小間口権利者双互の間で紛争が生じたりして、自然小間口権利者側の本件分湯桝における分湯割合等に対する注意が行き届かなかつた間隙に乗じて、昭和一二、三年頃から昭和一六年頃までの間に、勝手に本件分湯桝における分湯設備に次のような変更を加えて原告側の引湯量を増加させるに至つた。即ち、(イ)、本件分湯桝はもとは高さ約四尺四、五寸の自然石をくり抜いて作られたものであつたが、その上部の周壁をコンクリートをもつて約五、六寸高く築き上げ、分湯桝内の温泉の水位を高めるよう改造した。(ロ)、右分湯桝に取り付けられた原、被告側双方に引湯する各木製の樋は、いずれももとは同分湯桝において小間口から流入する温泉の流下方向に対し略直角に交る一線上に(流下口に対し略等距離になる)左右に対照的に取り付けてあつたが、これを原告側の引湯樋口のみ約二寸余流入口に接近させ、しかも流入口に向けて斜に取り付け、もつて原告側への流湯が入りやすく、その引湯量が増加するようにした。(ハ)、右原告側の引湯樋の樋口の底面の端を刃のように削つて引湯量の増加を図つた。(ニ)、原告側への引湯樋はもと貫板で作製した内口経巾三寸二分位の樋であつたのを内口経四寸二、三分に変更した。(ホ)、原告側の引湯樋はもと長さ約一五尺ほどあつて、その末端に木製四角箱型の中継桝を取り付け、そこから更に竹樋により原告等の共同浴槽に引湯していたのであるが、この引湯樋の長さを約七尺に短縮し、その末端に四本足の櫓に支えられた箱型中継桝を取り付け、ここから竹樋により引湯するように改造し、もつて右分湯桝から中継桝までの引湯樋が約三寸勾配の急傾斜をもつようにして引湯量の増加を図つた。以上の次第であるから、現在右分湯設備で原告側に引湯している量は、旧来の慣習による本来の分湯量を超えるものであつて不当に多く引湯しているものである。と述べた。<立証省略>

被告高橋、同小渕両名はいずれも「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告等の主張事実中原告等がその権利として本件分湯桝から引湯使用し得べき量の割合が原告等主張のような割合であることはこれを否認するが、その余の事実はすべて認める、と述べた。<立証省略>

被告亘は本件口頭弁論期日に出頭しないので、その提出した昭和一六年一二月一八日附答弁書に記載した事項を陳述したものとみなす。そしてその記載によると、同被告は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、請求原因事実に対する答弁の要旨は、原告等主張の事実中原告等がその分湯使用権に基き分湯使用し得べき量が本件分湯においてその主張のような割合であること、及び被告等が原告等の分湯使用権を侵害しようとしていることはいずれもこれを否認するが、その余の事実は認める。原告側の使用し得べき温泉湯量は、伊香保温泉の屋敷湯一般に通ずる永年の慣習に従つて横四寸、縦一分五厘の口から流出する湯量、つまり本件分湯桝に流入する温泉量の六七分の一五と定まつている。従つて原告等の分湯使用権は右の限度において認められるに過ぎない、というのである。

理由

本件請求のうち、確認を求める部分は、原告等主張の小間口から引湯される温泉につき共同で小間口の権利を有する被告等に対し、原告等が右小間口に附着する屋敷湯の共同権利者であることを主張して、本件分湯桝において被告側の分湯使用し得べき温泉量一・八一八に対し原告側が一の割合で分湯使用権を有することの確認を求めるものであるから、その訴訟の目的が共同訴訟人である被告等全員について合一にのみ確定すべき場合に該当するものというべく、従つてその一人のなした訴訟行為は他の被告等の利益においてその効力を生ずるので、被告松岡を除くその他の被告等は、原告等主張の事実中、原告等が権利として分湯使用し得べき温泉量の割合を争う外、その他の事実を認めているけれども、右自白は被告松岡の争える限度においてその効力なく、他の被告等三名も亦争つたものと看做すべきものとする。

よつて按ずるに、被告等が原告等主張の小間口から引用する温泉につき共同で温泉使用権(小間口の権利)を有し、右引用にかゝる温泉を本件分湯桝において引湯樋により被告側に引湯していること、伊香保温泉に古来一般に屋敷湯と称する原告等主張のような慣習上の分湯使用権が認められていること、原告福田与重を除く他の原告等三名が右の小間口に附着する屋敷湯の共同権利者として分湯使用権を有し、これに基き本件分湯桝から原告側の引湯樋に温泉を分湯し、これを原告等主張の土地に引用した上ここに共同の浴槽を設けて、温泉旅館を経営していることは、いずれも本件各当事者間に争いがない。そして証人木暮金太夫こと木暮泰及び同今井六三郎の各証言によつて真正に成立したものと認める乙第二号証、右各証人及び証人鯨井峯吉、同横手信太郎の各証言、原告福田芳太郎(第一回)、同福田松太郎の各本人訊問の結果、ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、永年の慣習から権利となつた伊香保温泉における屋敷湯の分湯使用権(多くの場合数人の総有に属したので数人共同の場合はその共同権利者各自の権利が)は、時代の進むに従つて漸次一つの財産権として、且つこれを引用している土地に対する権利に当然附随するものとしてその土地の権利と共に取引の目的物として他に譲渡することが認められるに至つたこと、そして本件屋敷湯については、もと原告福田芳太郎、同大塚富雄、同福田松太郎、被告亘省三、及び他二名の者が共同で屋敷湯としての分湯使用権を有していたのであるが、昭和六、七年頃、原告福田与重において、当時同人が既に経営していた温泉旅館の経営の便宜上、本件屋敷湯のある宅地の一部を必要とするに至つたのと、他方右被告亘は、その頃本件小間口の権利者であつた唐沢安司から別にその小間口の権利の一部を譲り受け、これがため右屋敷湯の権利を必要としないことになつたところから、同被告は右原告の求めに応じて自己の権利に属する宅地の一部をその屋敷湯の権利とともに同原告に譲渡した結果、ここに同原告が本件温泉の屋敷湯につき被告亘に替つて分湯使用権を有するに至り、今日に及んでいることを認めることができる。尤も、証人千明三右ヱ門、同鯨井峯吉の各証言、ならびに原告福田芳太郎〔第一回〕の本人訊問の結果によると、原告福田与重は本件分湯桝より引用する温泉を全く使用しないでいることが認められるけれども、このことは、何等同原告が被告亘から右分湯使用権の譲渡を受けてその権利者となつたという前記認定を妨げるものではない。他にも右認定を覆すに足りる証拠はない。よつて原告福田与重も亦他の原告等三名と共に本件屋敷湯の分湯使用権者であると言わなければならない。

そこで、次に原告等の屋敷湯にあつては幾程の割合で温泉の分湯が認められているかについて、審究する。まづ前顕の各証拠及び証人塚越七平、同千明三右ヱ門、同峰村祐幸の各証言、ならびに被告小渕保十の本人訊問の結果を綜合して考えるのに、伊香保温泉において屋敷湯の慣習が行われるようになつたのは、或は明暦年間といわれ、或は今から五百年程前とも言われるように非常に古いことであつてその起源は必ずしも明らかでないが、当初は、一二軒の大屋(大屋というのは、小間口から一定の宅地へ温泉を引用する権利のある者をいう。小間口の権利者ともいう。)が存在し、その者達がそれぞれその温泉の一部を、前記のように屋敷湯として分湯供給するにあたつては、普通湯滝一本の分量を供給することに定められていたものと言われ、当時湯滝一本とは横四寸、縦六分と定められていた小間口の大きさの四分の一の湯量をこのように呼んでいたところから、原則として横四寸、縦一分五厘の口から流出する湯量ということに従来いゝならされて来たけれども、実際においては必ずしも各屋敷湯すべてについてこの分量に統一されていたものではなく、大屋と屋敷湯の権利者との間の温情関係や、屋敷湯内の分湯使用権者の数、小間口の大きさの大小等、その事情の異るに従い、これら諸事情を勘案して各屋敷湯毎に適宜分湯量を定めていたものであつて、このような経緯によつて定まつた分湯量による温泉使用が継続するうち、次第にその分湯量による分湯受給が権利として是認せられるようになつたものであること、そして、中には近年になつて大屋と屋敷湯権利者との協議でこの分湯量を改訂したものでもあることを、それぞれ認定することができる。この認定を覆えすに足る措信し得べき証拠はない。ところで原告等の本件屋敷湯にあつて、果して当初幾程の量の分湯使用が認められたものかの点であるが、これを直接に認め得る証拠は全く存しない。しかしながら、本件小間口から引用される温泉が従来本件分湯桝において、これに取り付けた小間口権利者側及び屋敷湯権利者側の各引湯本樋によつてそれぞれ双方に分湯されていることは本件各当事者間に争いのないところであるから、もし右分湯の方法及び設備が当初から現在と同一であつたとするならば、本件分湯桝における現在の右分湯の割合を測定することによつて、遡つて当初定められた分湯の割合を知ることができるので以下この点について考察するのに、証人大塚幸作、同金内熊蔵、同沢田守太郎、同鯨井峯吉、同松井源蔵、同本多大三、同角田秀雄、同長谷川新作の各証言、原告福田芳太郎(第一乃至第三回)、同大塚富雄の各本人訊問の結果、ならびに検証(第一、第二、第四回)の結果を綜合すると、現在本件分湯桝においては、原告側が、樋口の底板端が稍鋭角刃型をなしている内経横四寸三分、縦三寸五分の木製引湯樋を、被告側のそれよりも小間口からの温泉流入口へ三寸乃至四寸五分程近くしかも流入口へ向つて幾分斜にして取り付け、三寸位の勾配をもつて約七尺一寸を距てた所にある中継桝に温泉を導き、そこから更に竹製引湯樋をもつて原告等の共同浴槽へ引湯しており、又被告側は、内経横四寸五厘、縦五寸の木製引湯樋を小間口からの温泉流入方向に対し略直角に向けて取り付け、そこから南方に温泉を引湯しているのであるが、このような分湯設備は明治年間の頃から殆ど変更を加えられることなく今日に及んでいること、尤もその間、大正九年八月三〇日の伊香保町の大火に際し、右引湯樋の一部が焼失したので、当時引湯樋の改修をしたけれども元通りのものに改修したのであつて変更を加えた事実のないこと、又昭和九年一一、二月頃、原告側の引湯樋の中継桝が朽廃し新しいものと取り替え、又原告側の竹製引湯樋を朽廃の都度新規のものと取り替えて来たけれどもそのいずれの場合にも分湯桝や樋口には手を加えたことなく、中継桝の位置や高さその他すべて元通りのしきたりに従つてしたものであつて、結局本件分湯桝における分湯設備については、後に述べる分湯桝上部周壁にコンクリート様の層が新しく築かれているということのほか、当初から現在まで変更の加えられたことのないことを認めることができる。被告松岡は、本件分湯桝ならびに原告側引湯樋に分湯の割合に影響を与える被告主張のような変更が加えられたと抗争し、その主張事実中、本件分湯桝の上部周壁をコンクリート様の層が新に築かれていることは原告等の認めるところであるけれども、爾余の事実についてはこの点の証人田島辰太郎、同須田貞夫、同湯山秀一の各証言、ならびに被告松岡清次郎の本人訊問の際における供述中被告の右主張に副う部分は、前顕各証拠と対比し当裁判所のにわかに信用することができないところであり、その他、前段の認定を覆して被告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。又前示分湯桝の上部周壁にコンクリート様の層が築かれたことによつて本件分湯桝における分湯量の割合に影響を及ぼすものであるかどうかについて考えるのに、このことによつて、右分湯量の割合に特段の変動を生ぜしめたと認むべき証拠は存在しないから、結局本件小間口権利者側ならびに屋敷湯権利者側への分湯は、少くとも明治年代以来引続き現在まで何等本質的な変更を受けることなく現在と同一の方法及び設備によつて実施されて来たものといわなければならない。ところで鑑定人野条初男の鑑定の結果によると、右の方法及び設備による本件引湯桝における屋敷湯権利者である原告側ならびに小間口権利者である被告側への分湯量の割合は、原告側一に対し被告側一・八一八の割合であることが認められる。(右鑑定は昭和一九年六月一五日当時の測定に基くものであるが、既に認定したとおり今日まで右分湯設備に何等本質的の変更がなかつたのであるから、現在においても右測定当時と同一の割合であることは明らかである。)そこで結局本件屋敷湯にあつては、当初から本件分湯桝において小間口権利者の分湯使用量一・八一八に対し屋敷湯権利者一の割合をもつて屋敷湯権利者の分湯使用権が認められていたものと見る外はなく、原告等は現に右の割合による分湯使用権を有しているものと言うべきである。然るに、被告等がこれを争うものであることは、その答弁の全趣旨に徴して明らかであるので、原告等が被告等に対し、前記の割合による分湯使用権を有することの確認を求める部分の本訴請求は、理由があるから、これを認容すべきものとする。

次に原告等の、被告等に対する右分湯使用権の侵害となるべき行為の禁止を求める請求の当否について考えるのに、証人千明三右ヱ門、同木暮金太夫こと木暮泰の各証言、原告福田松太郎の本人訊問の結果、ならびに検証(第四回)の結果を綜合すると、被告松岡は昭和一〇年三月頃、株式会社上毛銀行より原告等主張の小間口の権利の四分の三を買い受けてその権利者となつた後、本件分湯桝より自己が経営する温泉旅館伊香保館に温泉を引湯しようとして伊香保町に対し引湯管敷設工事のための道路使用許可願を提出し、同町では、伊香保温泉組合に諮問の上、同組合の答申の趣旨に従つて、同被告が右小間口の共同権利者、及び屋敷湯の権利者等利害関係人と協議を経た上で引湯することという条件付で、右願出の引湯管敷設のための道路使用を許可したので、ここに同被告は昭和一六年中に本件分湯桝附近より前記伊香保館に至る約五百間の距離に引湯パイプを敷設したが、このことについて原告等屋敷湯権利者との間に意思の疎通を欠き、原告等は同被告が本件分湯桝や在来の引湯樋にまで手を加え、原告等の分湯使用量を侵すような挙に出るのではないかとの危惧の念を懐くに至つたことを認めることができる。而して同被告は、原告等の本件屋敷湯に対して認められる分湯量は本件分湯桝に流入する温泉量全体の六七分の一五に過ぎないものであると主張して原告等主張の分湯割合を争うものであるけれども、以上のような事実だけからして直ちに同被告が原告等の本件分湯使用権の侵害となるような行為に出る虞があるとはなし得ないし、そのほかにも、同被告又は他の被告等が原告等の前記権利を侵害するような危険のあることを認むべきものがないから、原告等は被告等に対し予め原告等の分湯使用権の侵害となるべき行為の差止を本訴において求める法律上の利益はないものと言わなければならない。よつて原告等の被告等に対するこの部分の請求は、理由がないからこれを棄却すべきものとする。

以上のとおりであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 細井淳三 石田穰一)

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